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顔料のトリビアです

エイミー
エイミー
興味があったら読んでね

マリア
マリア
そんな人少ないと思うよ

顔料の歴史 人類は色を求めた

エイミー
エイミー
人類は昔から色々な顔料を使ってきたんだよ

フランスの古代の洞窟、ラスコーやアルタミラに描かれた馬や羊、野牛などの壁画は有名だね。これらは少なくとも1万5000年以上も昔のものなんだ。壁画の動物は褐色や黒色の顔料で描かれている。身近にあった赤土や黒土などの天然鉱物顔料を獣脂と混ぜて塗ったんだ。

人はラスコーの時代から天然鉱物顔料(有色の岩石や土)を見つけて色材にしてきた。日本でも7世紀に造られた高松塚古墳やキトラ古墳に色鮮やかな壁画が残されている。人にとって顔料はいつも必要なものだったんだ。

天然鉱物顔料は自然が何億年という時間をかけて作ったものだから、耐候性や耐熱性に優れている。自然環境が厳しくても変色し難いんだ。ただ粒子が粗く固いので着色力が弱く、何度も塗り重ねないと発色しなかった。でも古代の人はいっぱい時間があったから、気にならなかっただろうね。

天然物だから採れる量に限りがある顔料もあった。ウルトラマリン(青)はラピスラズリという宝石から作られた。とても貴重で金と同じくらいの値段がした。中世の画家はこの青の顔料を支給してもらうため、宮廷に仕えて絵を描いたんだよ。

生物由来の顔料はあったけどこちらも高価だった。抽出方法が難しいので秘密にされていたものが多かった。古代エジプトの高貴な色、貝紫色もその一つだよ。貝紫色は、フェニキア人が紀元前1200年頃、巻貝の一種から作り始めた。それは銀と同じ価格だったので、貝紫で着色したものは、貴重なことから富と権力の象徴になった。それは今でも続いていて、紫は高貴な色されている。

他にも生物由来で有名なものに、新大陸の発見によって見つかったカーマインレッドという赤系顔料がある。これはペルーの原住民が紀元前から使っていたコニチール色素で作られた顔料だ。この色素は染料にも顔料にもできる優れものだった。ヨーロッパに渡ると大流行、新大陸から銀に次ぐ重要な輸出品になったんだよ。

イギリスの枢機卿のローブや軍服がカーマインレッドで染められた。カーマインレッドの原料がコニチール貝殻虫であることは長い間秘密にされていたけど、18世紀に生物学者が秘密を暴いたんだ。その科学者は業界の人から随分恨まれたに違いないね。

色が欲しくてしかたない

ドイツにこんな伝説がある。世界ができたとき植物や動物は神様から色を貰った。でも雪だけが貰えない。みんなに色を下さいと頼んだけど誰もくれない。スノードロップはそんな雪がかわいそうになり色をあげた。雪は早春に咲くスノードロップを包んで守っている。みんな自分の色が欲しかったんだね。

青や紫が今でも高貴な色なのは、昔は権力がある人しか入手出来ない貴重なものだった名残からだね。ローマ法王や日本の高僧の法衣、王様の服は紫色だよ。でも庶民だって綺麗な青や紫は欲しい。色々と研究した結果、藍銅鉱からアズライトが、植物からインディゴが作られた。

庶民にも手に入る青の誕生したんだ。日本のインディゴは植物の藍から採られる。染色だけでなく浮世絵でも使われ、ジャパンブルーとかヒロシゲブルーと呼ばれて世界的に有名になっている。ヒロシゲはもちろん浮世絵師の安藤広重のことだ。

赤はカーマインが普及したけどまだ少し高かった。黄色はインディアンエローがインドで作られていた。なんとこれは、雌牛にマンゴーの葉っぱだけを食べさせてその尿を蒸発させて作ってたんだ。どうしてそんな事を思いついたか不思議だね。

でも牛はマンゴーの葉だけでは生きていけない、早く死んでしまう。いくら黄色が欲しいといっても虐待だと非難が起って1908年に取引が禁止された。インディアンエローの合成顔料が開発されて名前はそのまま残った。有名なフェルメールは牛の尿のインディアンエローが好きだったんだ。

合成顔料の登場 色が溢れ出した

こうして綺麗な顔料は増えていったけど、手に入れるのが難しかったり、量が少ないので高価なものが多かったので、人工的に顔料を作ることは人々の長年の夢だった。その夢は1704年にドイツで叶う。鉄を化学反応させて紺青が作られたんだ。

紀元前にエジプト人が鉛を酢に浸して「鉛白」という合成顔料を作っていたけど大量生産ができなかった。それに対して群青は安価で大量生産ができたんだ。続いて合成ウルトラマリンやコバルト青、セルリアンブルーが開発されていく。

20世紀になると、染料と金属分を合成した有機合成顔料のフタロブルーが登場する。有機顔料は、無機顔料に比べて発色が鮮やかで着色力が強く、色数が豊富なので需要が増えた。無機顔料の一部に毒性があることが分かってからは余計に使われることになったよ。

このように色んな合成顔料が開発されて、画家たちが夢見た色んな色が自由に使える世界、カラフルなファッションが生まれる世界がやって来たんだ。

日本でも1881年(明治14年)、茂木春太と重次郎の兄弟が亜鉛華という顔料の精製に成功している。当時、白粉は鉛白を使っていた。芸妓や歌舞伎役者は白粉を沢山使うので、晩年は酷い鉛中毒になって悲惨だった。亜鉛華はそれを救ったんだ。

茂木兄弟は、そのあと東京に光明社を設立して亜鉛華を使った船舶塗料を帝国海軍に納入した。東郷平八郎が、日露戦争でバルチック艦隊を破ったのは、この新しい塗料を塗ることでロシアよりスピードが出せたお陰、という噂もあるね。

光明社は、今は日本ペイントホールディングスという塗料会社になっている。明治24年に東京の品川に工場を建てたんだけど、その当時は石油缶1缶の塗料の値段が品川の土地一坪とほぼ同じだった。どんだけ〜儲かったんだろうね。

マリア
マリア
話が大きすぎない

合成塗料が出来ても色の名前は残った

天然顔料だったものが合成顔料に変わっても、その名前はそのまま残ったものが多いんだよ。採掘された地方や街が由来になっている名前がある。シェンナはイタリアのシエーナで、アンバーはウンブリアで採掘されていたんだ。インディアンイエローはインドで牛の尿から作られていたのが合成顔料になっても名前は残った。

バーミリオンやカドミウムレッドは水銀やカドミウムか原料だったので、安全性から合成顔料に変えられたけど名前は同じになった。ウルトラマリンは、ラピズラズリが原料だったのだけど、今はカオリナイトや硫黄などから合成されている。

ウルトラマリンの別名だったロイヤルブルーは、もっと明るい青を指すようになり、フタロブルーと二酸化チタンを混合するか、安価な青の合成染料から作るようになった。もう一つの別名のフレンチブルーは本来のウルトラマリンとは全く異なる青色になっているよ。

普段何気なく使っている色の名前にも歴史がある。顔料の歴史から色の名前が残ってきたんだ。でも最近はポリコレで色の名前が変わることがある。つい最近まで当たり前だった「肌色」はもうなくなった。差別につながるそうだけど、なんだかだね。

エイミー
エイミー
以上、顔料のトレビアでした

マリア
マリア
なにか唐突に終わったね。手抜きみたい